おーりゅにーでぃずらぶ
私はなぜ相手にとって良く写る人物でありたいのか。
それは評価が欲しいからか?
褒められた上で、そんな自分に慢心したかったのか?
そんな、褒められたい承認欲求は誰にだってあるのだ。それを求める矛先が人によって異なるだけだ。そこを否定しちゃうのは悲しいかもしれない。
だが私はそういう事を話したいんじゃない。
人と関わることによって得られるものというのは、ある。あると言っても、利害があるから関わるのだろうか。そういう人もいるだろうが、利害を超えた純粋な友人や家族、あるいは恋人に対する愛情こそ美しいとされるものではなかろうか。
なぜ私たちは祈るのか、考えた末にたどり着いたのがこれだ。早計だろうか。
正直、私はそんな当たり前なことが見えなくなっていた。
時によってその立場のとられ方が異なるのはこれが原因なのだろうか、まさに神秘
何を成すにしても、愛が込もってなきゃ意味がないんだよコノヤロ-