“No roots.”
土曜日。
本来であれば日々の疲れを癒す時。
私はいつもと変わらず家の中で、24時間で切り替わる数字を追いかけては今日が土曜日だと知ります。
または、タイムラインにいる皆さんが日中も盛んにツイートしていることによって、土曜日を実感しています。
来週の月曜に投稿する予定の動画を仕上げなければ。そんな気持ちが、むしろ私を非行に飛び込ませました。
今日は久々に、私の大好きな映画作品のひとつ『レオン』を観ました。
ナタリーポートマンの年不相応に大人びた仕草。"No roots."と言ったジャンレノの無骨な態度。無垢で感情を剥き出して犯す過ちの数々。あんなに憎らしくて心の温まる作品はそうそうあるまい(私調べ)。
さて、皆さんの周りに自分を振り回す異性はいますか?
迷惑だと思いつつ、その気まぐれな動きに翻弄されることが心なしか楽しいと感じる瞬間。「リスク」にも取れる要素をなぜか受け入れ、危険に身を晒したいとすら思ってしまう瞬間。これは恋でしょうか?愛でしょうか?
英語では恋と愛は区別されていません。そのような見方は案外日本語ならではのものだと感じています。他所では大体、「どのようなラブか」という形容詞などを追加することで表現されています。
では、恋とは何なのでしょう?
1特定の人に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。恋愛。「―に落ちる」「―に破れる」
2 土地・植物・季節などに思いを寄せること。──goo辞書より引用
恋に落ちるとはよく言ったものですが、愛に落ちるとは言いませんよね。
また、日本には元々愛という概念が存在しませんでした。オランダあたりからはるばる渡来してきたキリスト教の教えloveを、愛という言葉で導入した。そのような経緯もあってか、日本の古典『源氏物語』では、恋という表現が多く使われているそうです。(https://mine-3m.com/articles/15774)そういう作品が今も語り継がれるのだから、私たちが好きな人に対して抱く感情は多くの場合恋なのかもしれませんね。
色々と調べていくと、恋と愛の違いは明確に定義されていないようですが感覚を入念に研ぎ澄まして言語化する人が少なくないことがわかります。
「恋とは自分本位のもの。愛とは相手本位のもの」
これは美輪明宏さんの言葉で、「恋は奪うもの、愛は与えるもの」とも言い続けています。(https://mine-3m.com/articles/15774)
ところで、ここまで読んでくださった皆さんは、私をどんな人だと思っていますか?
誰にでも優しい聖人か何かと思って頂けてるのであれば大変光栄なのですが、最近はドロドロな欲にまみれたクズなのだと強く感じます。
他人と自分の認識の間にギャップが生まれる理由の一つに、汚点を隠したり我慢することが、時になぜか無上に美しいと感じる自分自身の歪んだ認識があると思います。誰かの偶像や虚像をそのまま保つことによって、私の醜い姿を忘れさせる仮初の平安が訪れるからです(それは現実逃避でしかないのですが)。
私は私自身の偶像を、愛情深い人間として作り上げているように思いました。
いかなる生物であっても感情を持っていれば、私は愛することを心掛けるでしょう。相手本位になるように生きること、それが私にとってはもはや条件反射で起きているとすら思います。
しかし、休職期間を経て尚のこと、私は恋をするべき人間だと感じています。
燃えたぎる情動に身を任せ、時に破滅を呼ぶとしか思えない渦中にこの身を投げ打つこと。
多くの人が人は愛を欲しています。自分本位に動いてくれる人間なんてそういないし、人で差別することなく平等に機会を与えてくれるのが労働でありその対価としてのお金なのですから。それなのになぜか、私の場合は誰であろうと愛することが使命だとすら思う時があり、呪いのようであり、本文なのです。
近年仲良くしてくれる人たちの間で「道」という言葉がありますが、おこがましくも私は自分自信を道だと思っています。どこまで行っても、誰かに何かを与える行為を止めることはないでしょう。
でも、だからこそ、私が私であるために、私の道は私が決め、選ぶ必要があります。この自分本位で選択する行為こそが恋だと考えています。
恋とは甘美な響きですが、時に狂気や怒り、悲しみを呼ぶものです。
ですが、その気まぐれな動きに身を任せなければ決して見出すことのできない世界、人生の大きな活路が存在していると思うのです。
それが愛です。誰しも万人を愛するという神業を体得するのは難しいものです。しかし私はもう、心が擦り切れるまで他者を愛することを無心にしてきました。あとは恋に落ちるだけなんです。
この拙い文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
私がここまで書いたのは、きっと恋文なんだと思います。心のままに書き殴った、支離滅裂な感情的な文章。
私の文章が意味不明?それはきっと、ここに起承転結があると思い込んでるからだと思います。でも、興味がなければ2000字を超える文章を読むのもそう簡単ではありんせん。
私がただ好きで集めただけの、感情のコレクション。ここに根など存在せず、ただ在るのみ。
言葉の端々など分からなくていいから、この気持ちをただ感じてください。
またどこかで。