それを忘れなければ
友達という関係から遠いほど、ハェイスブックやらインスタやらで友達になりたくなりますよね
けどたまにふと思い出したかのように検索して出てくる友達の投稿してる画像とか見て楽しくなりますよね
こういうこと言ってるからLINEの友達少ないんかとか思うけど、まぁそこはどうでもいいや
とある昔の友達は「幸せってなんだろう」という厨二というか青い問いを抱えてたんだけど、そういうことってありますよね
友情ってなんだろう、幸せってなんだろう、愛情ってなんだろう...的なテンションで
働くのだってそう
何の為に働くかって言ったら、お金が必要だからっていうのは第一にある
けどそれが大事なことかって言われたら違うし
まぁ生きるための最低限があればいいのかなって
かの名作フォレスト・ガンプでも、あまり取り上げられないけど大切なことを言ってた
「ママは言ってた。ほんとうに必要なお金なんて少しでいい。残りは、見栄を張るためだけって」
"Momma said there's only so much fortune a man really needs and the rest is just for showing off."
昔人生においてこれからどうしたらいいんだろうって考えて、「一度キャリアウーマンとしてビシバシ稼いでお金貯めて、40代50代になったら貯金で好きなだけ生きる。」なんて人がいて私も将来のバカンスのために頑張ろう、その為にいい大学も行っていい企業に努めよう。それがいいことなんだ。って思ってた頃があった。
けどずっと違和感を持ってて、大学って勉強するために行くのになんで皆あんなに遊んで、単位は取れれば、卒業できればいいやみたいな生活してるんだろって思って。そんな時の私は小さい頃「芸術は進路が分かんないから就職に強くない」みたいなことを言われて、漠然とした不安や進学しちゃダメっていう意識がずっと働いてたし、デッサンができなきゃいけないという美術学校の概念も意味がわからなかった。だから中学の頃も嫌だった。
いつも「何のためにこれをしてるの?」という問いに対する答えが無かった。
そんなことを考えてる人が世の中にはいっぱいいるみたいで、かのtandemとかいうアプリでアルジェリアの人と話してたら、めっちゃ真面目な話になってですね
相手は自己紹介として「日々をベッドでぐうたらして過ごしてるよ!😆」みたいな感じで話してて私ははいはい親御さん金持ちワロス的な適当な返事をしてたんですよ
そしたらなんか急に「何のために働くの?」みたいな話になり、謎に馬鹿にされ
私はあんたそんなこと働いてない癖に言えないだろ失礼だぞボケって(年上と)口論してたら
実は彼もかつてはめっちゃ仕事してたらしく
けどなぜ仕事してるのか分からなくなって、最終的には社会やら政府やら何やらにネズミの様に扱われる日々にもう嫌気が刺してしまったとのことで
彼は働かなくてもいいようなシステム?を考えて、実行して、今は働かずに日々を楽しく過ごしてて僕は幸せです
とのことで
地味に私より闇深そうと思いながら、初対面とは思えない心の底からの議論を交わしたのだが
やはりお金のために働くものではないね
お金はこの世の神だとも言わしめるほどの力はあるけどね
一応必要だけどね
まぁそんな彼とはもう全然話してないわけだが(日本人の奥さん欲しい、とか終わり際に「明日は電話かな?」とか言われて地味に最初から引いてた)、私は何をしたいんだろう
紆余曲折あって今は芸大に通ってるわけですが
「お金のために働くのではない」なんて教わった私は、更に進路がぐわんぐわんしてる
あと自分が本当に「これしたい!」て思えなきゃ続かないという話
そんな私が今、どんな状況なのかと言うと
・違う学校に通う可能性
・就活しとかないとやばい可能性
・とりあえず実家に帰る可能性
の3つで
今は本当に何とも言えない状況
地味に私は言うことによって満足してしまう人のようで、未来のことを誇るなとよく言われますが「今度夏に○○行く!」とか前々から言ってたことに限って「行くのやめた...」とか「休学する!」とか言って「休学やめた...」とかなので(やめることになった際は基本親に反対されてる)
私は過去の話とか、やり遂げたことを言うように最近はしてるというか、そうやって自重しようとしてるのだが、なんだかんだ楽しみすぎて言ってしまうのだが、あの、もう、とりあえず、迷ってるとだけ言っておきます
ただこう、私の中にずっとあるものとして
「死んだらこの世には何も残らない、だからと言って何をしたっていいわけでもなく
今自分の隣にいる人を大切にしたり、お年寄りは自分の親のように優しくしたり、自分が持つ才能?みたいなものを使って全力で、希望を持ってやってく」
そんな日々がやっぱり大切なのかなぁって
どんだけいい事言ってても、相手に即してなければただの騒音にしかならないから
かと言って他人からの評価を求めて働くのも良くないけど
私は今の私にできることを、みたいなのが、私の中にはあるわけです
自分でたどり着いたよりかは教わった結論だけど
自分がどこまでできてるかは置いておく、それが青二才の主張というもんですわ
ということで
最後にフォレスト・ガンプの名言を一部だけ。
「人生はチョコレートの箱と一緒、食べるまで中身はわからない My momma always said, "Life was like a box of chocolates. You never know what you're gonna get.」
「バカをする奴がバカなんだ stupid is as stupid does」
「ぼくらにはみんな運命があるのか、ただ風に吹かれてただよっているだけなのか、分からない。でも、多分その両方なんだろう。多分、同時に両方が起こっているんだろう。
I don't know if we each have a destiny, or if we're all just floating around accidental-like on a breeze, but I, I think maybe it's both. Maybe both is happening at the same time. 」
こうやって長い文章を書いてる自分を客観視していると、沢山話してる自分は何も確信を理解できていないのかなって、思います
ただ、消化不良みたいなものを少しでも軽くしたいような気持ちが働いてこうやって書いてるところがありますね、昔の人で言う日記的な
とりあえずどこかしらに自分の思いの内をぶちまけたい、的な
それがこのブログの立ち位置だと思っています
ツイッターの延長線ではありますが、思考の垂れ流しよりこっちの方がポジティブ思考になれるから
つまり何が言いたいのかというと、
たまにコメント欲しいな☆〜(ゝ。∂)
という話