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おばあちゃんの知恵袋

今日は久々に地元の友達に会った。

彼は最近目覚めた感じの人で、ハェイスブックで「僕就活しません!」とかいうちょっと不安になる発言が多かったのだが、実際に会ってみるとめちゃくちゃ真面目だし、なにより自分の頭で考えてる人だった。

18時ごろに出町柳で会った時、まだお腹が空いてないということでたまたま寄った京大でNFが開催されてて、綿あめ食べた。あれって日中に色々して夜はあんまり屋台やってないんやね。

まぁそれからずっと日をまたぐギリギリまで話してたわけだが、めちゃくちゃ面白かった。

まぁ今言語化するだけの頭よりもお酒が回っているため、あまり要約することはできないがとにかく有意義だった。

 

まぁ一番に思うのは、地元を出て本当に良かったということだ。

私の地元である北海道の人は、言っちゃ悪いが今この瞬間をただ生きているだけという人が多い。その中に永遠のような普遍的な日々というのがあり、それはそれで生きる上で尊いものなのかもしれないが、私はそんな何気ない日々に時間を費やすほど暇ではなかったということなのだろうか。とにかく地元の高校は最悪だった。上念司という方の『2030年の世界エネルギー覇権図』という著書のいっちばん最初には「どうして秀才が集まるとバカになるのか?」と書かれている。実際、微妙に学力のある人に限って「賢く見られたい」という不安や自尊心から逆に馬鹿な選択をしてしまう人が多い。私の高校はその最たるものと呼んでもいいくらいクソ野郎どもの集まりだった。なぜなら地元の頭いい高校を受験するだけの学力はあったが落ちた人が滑り止めで入るような立場の高校だったため、ある程度頭良いとちやほやされてきた秀才の集まりなのだ。

私はあの不安とプライドの入り混じった空間が嫌だった。心底不快だった。かつての私もそんな人物だったと思うし、実際今も不安になるとそれなりの発言しとけば回避されるやろという頭は残っている。だからこそ私は自分が好きにはまだなれない。もっと高みを目指したい。

なおかつ、人の言ってたことをそのまま自分の意見として話してしまう輩が多い。空気的にこういうやつやろ、的なクソみたいな空気読む輩ばかりだ。気持ち悪い。実際私も空気は読むが、それよりもひどい人間がゴロゴロいた。

私は自分の頭でちゃんと考えたかったのだ。ちゃんとね。その上で今の芸大という進路が選択されている。

私は未熟だ。ただ、今日記憶に残る言葉として「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ。」というものがある。

経験に即したものだと、自分から逸脱できない。もっと広い視野で物事を考える必要がある。その上でインプットはとても大事であり、その最たるものが語り継がれてきた歴史というものなのだと考える。歴史と言っても、誰かの人生において悟った何かを数時間で知ることができる本やら映画やらは気軽に有意義な時間を過ごせるものだ。

先人の知恵というものはすごい。日本の地名だって、昔の人が経験したその土地の性格を表すものが多い。「氵」のつく地名は水災害の多い場所として避けた方が良い、というように歴史から学ぶことはたくさんある。

歴史は古くて現代に即していないというわけではなく、むしろ源泉のような、核心を突いたものが多い。悩みの多くは過去の哲学者が皆悩んでる、とはよく言ったもので、皆同じ悩みを抱えるものであり、その解決策も意外と過去の先人たちが見つけてたりするのだ。

歴史は面白い。

全てを知ろうとするのは愚の骨頂であるが、常に学び続けるという姿勢は大切にしたいものである。