“Carpe diem”
悩む時間は長くても結果は一瞬だなぁ、と思った今日この頃。
でもそれはきっと、最初から結果が見えてたことなんだろうなぁって。
所業無情みと命の危機を月一で感じる2018年7月8日。
平成最後の夏ですね。
今度展示する自分の作品にも繋がる話をすると、
影って掴めないですよね。過去も、光も、未来も。
過去も影も、未来と光も、今を生きる実在する自分があって初めて生まれるものだと思うのです。
光も影も、未来と過去も決して交わることがない。
影は掴めないし、過去も変えられない。
影の形を変えるには、過去を悔やむのならば、
今存在している自分が動いて変わるしかない。
未来もまた掴めず、現在の自分を浮き彫りにするのみ。
でも、英語で未来をwillと称すことがあるんだけど
日本語訳に未来とは別に、希望という訳し方もある。
私たちは、過去の存在を認知しつつ、未来に向かって現在を実りあるものにするしかないんじゃないか?
また、その上で
今自分がやってることは本当に大切なことなのか?
高2の頃観た映画の中に”Dead poet society”(邦題「今を生きる」)という作品があるのだが、
一応自称進学校(笑)出身としては「超エリートだが自由に趣味を持つことすら抑圧される窮屈な学校と親」という環境の中で葛藤する青年たちに大きな共感を持ち、
またその中で詩の教師?演じる故ロビンウィリアムズによる心への訴えを機に、彼らが彼らなりの自由を謳歌するという姿に胸アツなストーリーである。
その作品で序盤に出てくる詩の授業で、ウィリアムズ氏は生徒たちにこの言葉を送る。
“Carpe diem. Sieze the day,
and make your lives extraordinary.”
(Carpe diemはラテン語でsieze the dayの意)
和訳すると、「日々を摑み取れ。
そして君の人生を並外れた素晴らしいものにせよ。」
というものだ。
悩んでいる時間というのは、貴重であると同時に、無駄な時間である。
あなたは、自分が本当に望んでいることを心の中では知っているはず。
今、この瞬間を摑み取れ。
時間は平等に流れ、過去は戻ってこない。
なんて、
どの口が。