背伸びの限界
いつも論点を逸らしてしまう質問。
「何がしたいの?」
私はまだ、まともに答えられた試しがない。
この質問は、色んなことを乗り越えてきたであろう偉い人達や知見のある人達にこそよく問われることだ。今の50.60代くらいの人が多い。
いつの時にも背伸びをしている人というのは、それなりにすごそうな賢そうなことを言っといては、最終的にそんなにすごくない自分を見抜かれて、むしろアホ丸出しになってしまうものだ。
今日なんて、愚の骨頂だった。
「海外に行きたいんですよね、ダニカラヴァン って人がいるんですけど。その人のアトリエで働かせてもらえないかな〜〜とか、とりあえず海外に出て全体をなんとなく知りたい。」
「経験としてはいいと思う。けど募集出してた?」
「それがまだ全然調べてないんですよね笑」
いわゆる藝大の大学美術館で行われていた展示を見た後、学食凸すっか〜〜と迷子になってた所に、いい感じのおばさんと目が合ったためいい感じに道を尋ねた。
日曜は学食やってないらしく、どこか食べれる所ないかな〜〜という具合におばさんと一緒に歩みを進める。お互い一人でご飯を食べる予定だった私たちは、なぜかそのまま一緒にランチすることになった。サンドイッチとスープを半分こしてもらった。なんでも、私と同じくらいの娘がいるらしく、ちょっと困ってそうだったから色々してあげたくなっちゃったそうだ。自分もそう思うことがいつか来るのだろうか。
ともかく、おばさん実は藝大で開かれていた学会に来た割とちゃんとした人っぽく、頭の中がスッキリした感じの簡潔とした話し方だった。
自由な方が好きだ、と話すおばさんは色々と軽いトーンで話す中に、しっかりと裏付けられた知識や知恵のあるような言葉の運び方で、とても心地よかった。
だからこそ、彼女に「何がしたいの?」と言われた時の私はとっても居心地が悪かった。
私は実は(周知の事実かもしれないが)何も持ってない。
他人の言ってることを言われた通りに、とか
人がこう言ってるからこうした方がいいらしいから、みたいな
自分の頭で考えてないんですよ
それにやっと気付けたのは、高校の頃。
積もり積もった「これは何のためにしているのか」に対する"自分の"答えが出せない不満から、自分がそもそも今何を考えててどうしたいと思っているのか、という内から出るものの声を聞くために、まずは第一歩として美大に進学したのだ。
いや、むしろそのスタート地点に立っただけなのか?
「色々学んで吸収して、誰よりもすごい奴になってやるぞ」という、やはり他人がいて初めて成り立つものから始めた一年生。
他人がいて初めて自己の価値が見える程度の脆い価値観。
トゲトゲしてましたねぇ
3年生になって「丸くなったね」と言われた時に「顔が?」と思ってしまうほどには自分が成長した感覚がない。
結局私は何も変わっていないのだ。
変わりたい。そう願う私の目にはまだ何も見えていない。
知識が増えただけでそれをうまく使えるのかと言えばそうでもなしに、ただただ生まれてこのかた、何かが来るのを待っているような、動きたいのに動けない、張り裂けそうな心をずっと、収まり切らない箱に無理やり詰め込んでるような。
私が求めてることは何なんだ。
解放されて自由になりたい。
そう願うにはまだ、自分に欠けている部分があるのか。
「これからまた学会があるから、私はここでお先するわね。」
そう言った彼女の、ヒールの音が遠ざかっていく。
「せめて名前でも聞けば良かったものを」
誰かが私に囁く中、親指はスマホのホーム画面をスライドし続けた。